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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

2010年帰省の旅(後半)

よしなし

土曜日のドライブ後、両親は祖父母の家へ向かった。長男である叔父が、法事に備え祖母を施設から連れ帰っていたのだけども、東京で暮らす叔父は出張ついでの帰郷。取引先接待のため夜間は家を空けるため、わたしの両親が祖母と一緒に泊まることになったのだという。わたしと姉だけが家に残り、翌朝祖父母宅へ向かった。

翌日、半年ぶりに会った祖母は元気そうだったので安心した。祖父のことを「まだ生きていてもおかしくない年齢なのに、情けない」とこぼす。おばあちゃん、昨日の夜ずっと布団の中で泣いてたみたいと、と母に聴かされ少し胸が痛むし、少し羨ましい。家の外のことがなにひとつできない祖母と、家の中のことがなにひとつできない祖父。それが単純に良いことだとは思わないけれど、この世代の夫婦はまさしく、ふたりで一人前であり、だからこその強い依存関係で結ばれているのだろう。

午前中にお坊さんがみえて、お経をあげた。このあたりの家ほとんどを檀家にしているお寺の住職は、親類の葬儀のたびに顔を合わせるのでわたしにとってもすっかり馴染み。住職は、祖父の教え子だった。「お坊さんになったばかりの頃、うちに来てお経をあげて、先生のまえじゃあ照れてうまくお経があげられないよ、って言ってたことをよく覚えてる」と祖母がつぶやく。

お経だけを自宅であげてもらい、会食はほど近い旅館にて。こじんまりとしているけれどとても気持ちのいいところで、料理もとてもおいしかった。とりわけ締めに出てきたちりめん山椒のお茶漬けは絶品で、お腹いっぱいであるにも関わらずすっかりたいらげてしまった。


夕方祖母を施設に送り届けたあと、また無人になった家を片付ける。わたしたちが遊びに行ったときは、祖母が気合いをいれて、炊飯器を使わず美味しいごはんを炊いてくれた。料理上手で有名だった祖母はもはや、鶏御飯の炊き方も饅頭の作り方も、はっきりと思い出すことができない。薪で煮炊きするための「おくど」、お風呂だって灯油と薪で湧かすことができた。何かと書き付けては壁に貼っていた祖父。知り合いの電話番号、親類の子の「命名」、漢詩や短歌の短冊……家中のいたるところに祖父の筆跡が残っていて、気が遠くなる。

センチメンタルな気持ちに拍車をかけるように怪しい空模様のなか、両親と姉、そしてわたしは家を後にする。「おばあちゃん家があるから」と、近辺で宿泊することは一度もなかったけれど、祖父母の家の近くには温泉旅館や、高原のコテージがたくさんある。せっかくだから今回は泊まってみようよ、と姉が手配したのは「レゾネイトクラブくじゅう」というコテージ風のホテルだった。思った以上に快適で、(荒天だったのが残念だったけれど)晴れていれば美しい高原が一望できる場所にあるホテル。のんびりしようにもちょうどその晩が、参議院選挙の開票+W杯の決勝であったことから、わたしはほとんど一睡もせずテレビに向かい合っていたのだけども……。