メトロガール

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ペルシャ猫を誰も知らない|バフマン・ゴバティ

先週末に知人から「イランのインディー・ミュージックを描いた面白い映画があるよ」と勧められたのがこれ。「ペルシャ猫」は、文化統制が厳しい中で当局の監視を逃れて自由な音楽を求めるミュージシャン達の比喩。思い描いていた以上に素晴らしく、苦しく、さまざまなことを考えさせられる映画だった。と同時に、明るくクリアな映像やスタイリッシュなカット割りに、中東映画にこんなセンスがあったのかと驚かされもした。

先日感想を書いた、コンゴのストリートミュージシャンを描いた映画「ベンダ・ビリリ!」において、音楽とは何よりまず生きる術、生活の糧だった。彼らは生きていくため、家族を養うために演奏し、成功を願う。一方で「ペルシャ猫を誰も知らない」に登場するイランのミュージシャンたちは、生活に困窮しているわけではない。むしろ、画面で観る限りは、楽器を持ち、車やバイクを乗り回し、ある程度恵まれた平均以上の生活をしているように見える。けれど、彼らには文化的な自由がない。禁輸措置によりアメリカ文化に触れることはできない。当局の許可を受けなければ音楽の演奏も、リリースも、コンサートも開くことはできない。わたしたちが今日常的に触れているようなポップ、ロックの多くは「反イスラム的」だとして規制の対象となる。貧困と闘うための音楽。思想/表現の自由としての音楽。なんにせよこれらは、ある種の極限状態における音楽との関わりだ。

主人公の男女アシュカンとナデルは、バンドを組んでロンドンでコンサートを開くことを夢見ているが、無断演奏で前科を持っている青年アシュカンにはパスポートがない。ひょんなことから彼らの音楽に惚れ込んだ男ナデルが、怪しい人脈を駆使してふたりの夢を叶えようと奔走するが、次々と困難がふりかかってくる。実体験を基にしたフィクションであるこの作品には、さまざまなイランのミュージシャンたちが登場する。彼らのほとんどが実在し、活動しているミュージシャンだ。インディーロック、ハードロック、メタル、フォーク、ペルシャ音楽、ヒップホップ、驚くほど普通に、世界でリアルタイムで聴かれているのと変わらない音楽がそこには流れている。ということは当然、いくら禁止されたところでイランの若者もリアルタイムの世界の音楽に触れているのだ。どこからか手に入れた「NME」をひどく嬉しそうに回し読みしたりして。

この映画を勧めてくれた人が言った。僕らは、イランって聞いたら皆厳格なイスラム教徒で、政府に対してもがちがちに従順だと思っちゃうじゃない。でも違うんだよね。一般市民は、普通なんだよ。普通に生活して、自由を求めたり、ポップカルチャーに惹かれたりもするんだよね。映画の終盤、アシュカンとバンド仲間達が夢を語る場面。「音楽さえやれればいい」「一日中演奏していたい」「アイスランドに行って、シガー・ロスに会いたい」、なんて当たり前の夢なんだろう。

撮影許可なしで制作されたこの映画のクランクアップ4時間後に、主人公を演じたふたりはイランを脱出した。フィアンセが反政府活動の疑いをかけられたり、思うように映画を撮ることができなかったりと様々な要因があってのことだろうけれども、バフマン・ゴバティ監督もこの作品を最後にイランを離れたという。