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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

ざびえるこわい

よしなし

そこに住んでいる間はほとんど口にしないのに、離れると途端に食べる機会が増えるのが「銘菓」。福岡に住んでいた4年間「博多通りもん」も「ひよこ饅頭」もほとんど食べなかった。東京土産として有名な「東京ばなな」や「ごまたまご」を食べたことのある東京の人間はそう多くないはずだ。

わたしが一番長く過ごしたのは生まれ育った大分で、やはり土産菓子の関係を口にする機会は少なかった。宣教師フランシスコ・ザビエルの名からとった南蛮風の菓子「ざびえる」は、大分土産として一番有名な菓子なのではないかと思うが、大人になるまで口にしたことがなかった。バターを練り込んだ生地で白あん(レーズン入りの場合もある)を包んだ、洋風饅頭である。

もともとは、大分市内の「長久堂」という会社が作っていた「ざびえる」だが、倒産。しかし、地元のファンの声に突き動かされた元社員達が「ざびえる本舗」なる会社を新たに立ち上げ「ざびえる」をはじめとする商品を復活させたのである。このときに、大分出身の某テレビタレントが熱心に宣伝したおかげもあってか、再興後の「ざびえる」は以前にも増して銘菓として幅をきかせるようになった。

わたしはこの「ざびえる」、復興後にしか食べたことがない。大学生の頃、帰省土産に研究室へ買っていったのが最初だったと思う。地元の銘菓なんてそもそも買うことはないし、「長久堂」は「今イチなお菓子屋さん」として認識されていた(生ケーキがおいしくなかったせいだと思う)。

そして何よりわたしは「ざびえる」が怖かった。

小学校一年生の夏休みまで、父の転勤で大分県北部に住んでいた。大分市とはかなり離れていたので、当時のわたしにとって時折持ち家の様子を見に行く親に連れられ「大分に行く」のはちょっとした旅行気分だった。大分市内に入り、家に向かう途中にやや大きなトンネルがあったのだが、そこを抜けると大きな「ざびえる」の看板がどーんと視界に入って来る。当時その近所に製造会社の本社があったからだと思う。

これは、実際に観た人間にしかわからないだろう。「ざびえる」のロゴフォントは、見ようによってはおどろおどろしい。そして、高級感を醸し出すことを狙ってか、箱やパッケージの背景色は真っ黒。看板もそのイメージそのままで、巨大な黒い丸看板に、ホラーなフォントが踊っているのだ。
検索しても写真が出てこないので、イメージ図を作ってみた。

もしかしたらフォントは白かったかもしれない。記憶では2メートルはあろうかという巨大看板だったけども、実はもっと小さかったのかもしれない。でも、子ども心に、トンネルを抜けた瞬間目に入ってくるこの看板は身震いするほど怖かったのだ。そういえば祖父母の家で「ざびえる」とセット売りされることの多い「瑠偉沙」という菓子はお茶請けに食べていた。ということは、わたしはやはり、パッケージが怖くてそこにある「ざびえる」を避けていたんだろうか。

わたしは「ざびえる」という文字を見ると今も少しだけぞっとする。おいしいんだけど、やっぱり怖いのだ。三つ子の魂百まで。