メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

ライティング・マシーンーウィリアム・S・バロウズ|旦敬介

ライティング・マシーン―ウィリアム・S・バロウズ

ライティング・マシーン―ウィリアム・S・バロウズ

昨年末から読み始め、のんびり進め、ようやく読了。中南米文学の翻訳で知られる著者によるウィリアム・バロウズの評伝。

わたしは決して、いわゆるビート・ジェネレーションの誠実な読者ではない。バロウズに関しても、十代のころ好きだったミュージシャンが彼の名を口にしたことからミーハーな気持ちで手を伸ばしたに過ぎない。優れているのかそうでないのか、好きなのか嫌いなのかを判断することもできず、書いてあることの意味もろくにわからず、ただ強烈で鮮烈な、それまでに読んだことのない小説だった。その後、絶版になっていた小説が文庫で復刊された折などには読み返していることからすれば、結局のところわたしにとってバロウズの作品はまんざらでもないのかもしれない。

本書は、旅についての記述からはじまる。バロウズの『赤夜の六都市(Cities of the Red Night)』を旅のお供として長年持ち歩いた著者の話と、世界ではどれだけ個人の自由が許されているかを確かめる「自由のパトロール」のため、自由を追い求めるがゆえ、そして現実的な必要に迫られ住居を転々としたバロウズの話。それからまさしく足取りを追うかのように作品や手紙などを丁寧になぞり、それらとバロウズが現実にたどった合衆国〜メキシコ〜南米〜タンジェ〜欧州の旅路を重ね合わせることで、彼が主たる作品を書き上げ小説家になっていく過程、彼と家族・友人・恋人たち……そしてドラッグとの関係などを驚くほどわかりやすく示してくれる。カット・アップと呼ばれる、段落、文章、果てには単語単位でシャッフルする難解な手法で知られるバロウズだが、彼がいかにしてあのような内容の作品をあのような手法で書いたのかということが、するするとひもをたぐるように飲み込めるのだ。よくわからなかったバロウズのことが今までより少し近く感じられるようになり、彼の作品を改めて読み返してみたいと思う、そんな本だった。また、前半で触れられる「ライティング・マシーン」タイプライターの普及と文体、小説の変化(そして入力デバイスの違いが文体に及ぼす影響が、漢字変換を伴う日本語と、伴わない英語ではまったく異なるのではないかという考察)はバロウズ抜きにしたってたいへん面白かった。

訪れた地や目的こそ違えど、南北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカを旅した(そして、バロウズが滞在した地の政情や歴史、風土についての知識をひろく持ってもいる)著者だからこそ得た共感覚は、息子との関わりを経てさらに深いものとなる。「バロウズの評伝であると同時に、僕の自伝でもあるかな」、著者は言った。そんな風に寄り添うことができる作家をもつことができるのは幸せなことなのかな? なんとなくうらやましく思う。