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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

ソーシャル・ネットワーク|デヴィッド・フィンチャー

そもそもこういった映画が作られるには、まだ早いんじゃないかと思っている。物事はなんだって多かれ少なかれ歴史の審判を受ける。ある程度総括的に、客観的な視点を持った上で作られるのが事実をもとにした物語であり(ドキュメンタリーなんかはまた別)、Facebookはもとよりwebサービスというまだまだここ10年そこらで成長してきた、今後どこまで持続可能性があるかわからないものを、その創業者についてのスキャンダラスな視点を含め映画にするということ自体が、嫌らしい企画だと思ったのだ。

あまりフィンチャーとの相性がよくないこともあり、どうしようかな〜と思いつつ足を運んでみたところ、構成も映像も、台詞回しや展開もいちいち巧みで、映画としては確かによくできているけれど、やはり前述の疑念がすっきりするような作品ではなかった。

実際にマーク・ザッカーバーグFacebookの創業と展開に関係して関わることとなった2つの訴訟を軸に描かれる物語。演技や演出はなかなかのもので、恋人に対し相手の気持ちを思いやらずに早口で自分の考えばかりをしゃべりまくり、都合の悪いことには子どもっぽく拗ねるマークのいかにもナード的なメンタリティ、どこからどう見ても山師にしか見えないショーンが巧みにマークのコンプレックスや弱みを見いだし付け入っていくところ、マークを訴える元同級生や元親友など、それぞれにきちんとわかりやすいキャラクターがあり、その動かし方にも無駄がない。おそらくはもっと入り組んだ出来事、人々の欲望や感情の齟齬、大人の事情が絡んできたに違いないのだけども、それぞれの対立軸を絞ることでシンプルでわかりやすい話にもなっていた。本当に面白くてよくできた映画だったのだ。

ただやはり、これは振り返るにはまだ早い。結局はマークのコンプレックスを軸にした青春ドラマに収束していたわけだし、これだけ脚色を加えるならば、フィクションの枠組みに持っていくことはできなかったのかな。あえてFacebookを全面に出すというのが、どうしてもスマートなやり方とは思えなかった。