メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

敵わない言葉

ロナウドが引退した。

2002年の日韓W杯、ロナウドリバウドロナウジーニョを擁したセレソンの鮮やかさは今も焼き付いている(あのときのロナウドのけったいなヘアスタイルも焼き付いている)。二度目の怪我だったか、脚を折って泣きながら運ばれていく姿も、忘れることはできない。

あまり熱心にスポーツを観る方ではないのに、十代の熱狂*1が冷めた今でもそれなりにサッカーに惹かれてしまうのは、それがもっとも、地域や階層を超える可能性を持った競技だからなのだろうか。

わたしはフィクションを愛している。けれど、どんなきれいな文章どんなドラマティックな物語だって、もしかしたらひとりの人間に敵わないのかもしれない、そう思わされる瞬間は確実にある。彼の34年間を市井の市民のそれと比較することはできないけれど、今日ロナウドの引退会見についての記事を読んで、感動的な小説を一冊読み終えたとき以上の感慨にいても立ってもいられない気分になり、ぐらぐらしたまま午後を過ごした。

たくさんの敗戦と数え切れないほどの勝利に彩られた、最高に素晴らしく感動的なサッカー人生だった。たくさんの友情に恵まれ、誰からも憎まれることなく引退できると信じている。
ミランでプレーしていた当時、甲状腺ホルモンの分泌量に異常が見つかり、精密検査の結果、新陳代謝の働きが不十分となる甲状腺機能低下症と診断された。そして、この疾患をうまくコントロールするためには、サッカーの世界ではドーピング薬物として禁止されているホルモン剤を摂取する必要があった。これまで散々と僕の体重のことを嘲笑の種にしてきた人たちは、この言葉を聞いて自分たちの軽率な発言にさぞかし後悔しているだろうね。しかし、そのことは根に持っていないよ。僕に引退を決意させたのは、度重なるけがのせいだ。ここ2年間で、僕の足と筋肉は変わり果てた姿になり、最近では苦痛に耐えることもままならない状態となってしまっていた。
コパ・リベルタドーレスを手に入れる夢が最後までかなわなかったことについて)あれほどまでに追い求め、夢にまで見ていたタイトルをあきらめなければならないのは本当につらい。気持ちだけなら、まだ戦い続ける準備は十分だが、時には敗北を認めることも必要だと思う。僕は僕自身の体に負けてしまったんだ。頭の中では相手DFを振り切っているはずなのに、体が反応できないという状況は耐えられないものだった。
引退を決めた瞬間から、病院の集中治療室にいる気分だった。そして、引退を正式に告げた今、人生における一度目の死を経験した心境だよ。
(出典:スポーツナビ

*1:ちょうどJリーグ世代+思春期にアトランタ五輪その他が重なったこともあり一時期は真剣にサッカーを観ていた。近所でキャンプしていたサンフレの練習試合を観に行き当時好きだった柳本選手らに写真やサインをお願いしたこともある。川口能活カレンダーを買ったこともある(これはちょっと若気の至りかも)。イギリスではプレミアがテレビで観放題であることに衝撃を受けつつ当時好きだったギグスグッズを買い集めた。