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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

3月11日の記録

このブログに日常を書き留めはじめた6年前、当時暮らしていた福岡を西方沖地震が襲った。広島から戻る途中だったので震度6強の揺れは体験しなかったけれど、停電で真っ暗な天神の街と、物が散乱する自宅、そして翌朝目にした近所の(主に木造家屋の)惨状は忘れることができない。

そして金曜日。オフィスビルの14階はものすごく揺れた。短い縦揺れ、そして横揺れがはじまったときには笑っていたけれど、振幅が増し長引くにつれて不安になった。声を掛け合って、デスクの下に置いてあったカバンを引き寄せた。全員避難の館内放送が流れ、「とにかく逃げなさい」という上司に背中を押され非常階段を駆け下りた。公園に逃げてからも余震が続き、上着も着ないで出て来たみんなで震えていた。電話はつながらないので、ワンセグ携帯を持っている人が電池残量を気にしながら情報を得て周囲に伝える。2時間弱が過ぎた頃、オフィスに戻っていいと言われ、エレベーターが止まっているので階段を歩いて上がった。テレビを見て、津波の映像や、燃え盛る市原のコンビナートに背中が冷たくなったけれど、その時点ではまだ詳しい被害状況はわからなかった。

しばらく様子を見ていたけれど、電車が動く見込みもなさそうだったので7時過ぎに徒歩で会社を出た。同じ方向の人たちと4人でずっと歩いた。勤め先から新宿まで、不謹慎だけど何か大きなイベントのようにずっと人が歩道を埋め尽くしていた。ヘルメットや防災ずきんを被っている人もいた。コンビニに行列ができ、道沿いの靴屋にも歩きやすい靴を求める人が大勢駆け込んでいた。同僚がわたしのヒールを見て「足はだいじょうぶなの?」と聞いたけど、運良くダンスシューズを履いていたので、長く歩いても足が痛くなることはなかった。新宿を過ぎると少し人が減り、3時間ほどで自宅に着いた。

惨状を覚悟していたけども、揺れで衝撃を吸収する高層ビルと比べて、鉄骨低層マンションの揺れはそうひどくなかったのか、扉のない吊るしだなに置いてあった食器すら落ちてはいない。唯一棚に置いてあったピカソのフレームが倒れていただけだった。水も電気もガスも、問題ない。安心したので近所のスーパーに買い物に行き、日持ちのする食品や飲料水のペットボトルを買った。

携帯はあいかわらず通じない。わたしが送信したメールが九州の家族に届いていることは、固定電話からの通話で確認したけども、受信はあいかわらずできないようだった。便利だけど、情報の錯綜や感情的な煽り、デマの類いに気をつける必要はあるなと思いながらTwitterで情報を得ていた。家に落ち着いたのでパソコンからFacebookを開くと、会社に宿泊することになったという友人が「今日は何かあったらすぐ出られるように、服を着たままテレビをつけて寝た方がいい」とアドバイスをくれた。さっとシャワーを浴びて、浴槽に水を張った。物が倒れても影響を受けない場所にベッドを動かし、身の回りの物を入れたバッグやコートを枕元において、服のままで布団にもぐった。テレビをつけたら想像を超える惨状が広がっていた。

夜中になって急にまとまった数のメールが届いた。親しい友人のおじいさんおばあさんが相馬在住で、自宅が全壊し行方不明なのだという。新潟の友人が「大丈夫? 落ち着いたら連絡ちょうだい」と送ってくれたけれど、そのうち新潟も揺れはじめた。

結局眠れなかった。