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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

正しく恐れる

よしなし

「物事を必要以上に恐れたり、全く恐れを抱いたりしないことはたやすいが、物事を正しく恐れることは難しい」というのは物理学者であり随筆家である寺田寅彦の言葉。

予想していたことだけれど、野菜や水から放射性物質が検出されはじめた。特にいくら避けようとしても摂取を避けられない水についての不安は大きく、ネット上でも至る所でヒステリックな声を目にする。

蒸気の放出、放水、風向きや降雨のタイミング等によってこれらの数値は今後も増減するに決まっている。原乳、野菜、水ときて、この先は肉や海産物にも多かれ少なかれ影響が出てくるだろう。中長期的にどのくらいの被害になるかは、福島の現場作業の進捗にもよるだろうし、現状ではわからない。いずれにしても、水なんて買い占めたところでそんなには持たない。外食や加工食品のことを考えると完全に水道水を避けるのも難しいし、なにより現時点での数値は目くじらたてるほどでもなさそうだ。というわけで、わたしは依然水道水で作った食事をとり、水道水で煮出したお茶を飲んでいる。もし今後事態が悪化すれば、そのときできる限りの防衛をする。いざというときの水需要については政府が何か考えるだろうし、それでもどうしようもない状況なら、まあそういう運命だったということだ。

現時点では、水をがまんすることや心配しすぎることよりも、心身の健康を保つことを強く意識している。体に入る物質の種類や量にもよるけれど、1つ細胞を壊されたらきちんと1つ新しい細胞を作れる健康な体でいることは、多少の被曝に対しては有効なのではないかと思っている。もういい大人なので小さな子どものように放射線の影響を受けやすいというわけでもないだろう。わたしはわたしの身の丈にあった対策をするし、もちろん他人はその人個人に必要な対策をすればいい。小さな子を持つご家族なんかは、わたしよりは神経質に事態をとらえる必要がある。なんにせよ過度な楽観も悲観もしたくはない。

原発そのものの是非について、個人的にはメルケルの「将来的にはクリーンエネルギーへの全面移行が必要であるが、現状ではそれらの発電方法ですべてのエネルギー需要をまかなうことはむずかしい。技術が十分に成熟するまでのつなぎとして原子力は必要だと考えている」というような発言に共感している。水力発電化石燃料による火力発電も、環境への負荷は当然小さくない。作業員が事故で亡くなることもたまにある。風力や太陽光については現在の技術では十分な発電量は見込めない。社会システムや都市の在り方を見直すことにより省電力社会を構築することは第一で(夜景にかけた金額やビルの高さを競うナンセンスな国際競争とはこのあたりでさよならしたい)、その上で、必要な範囲で最善の安全策を講じた原発を運用することは、当面は避けられないのではないかと素人ながら思っている。

これまでも現在も、原発の是非についての議論が建設的でない、ちぐはぐなものになりがちなのは、それが「感情論」に偏ってしまうからなのかもしれない。兵器使用の歴史からか、いわゆる左巻きの方々がこの手の反原発運動を思想運動にすり替えているケースは目立つ。しかし、それは技術と使い道を混同した話で、凶器になり得るから包丁禁止、火事が起きかねないから火の使用禁止、というような論理と大差ない。もちろん「人間が禁断の神の火に手を出したがための天罰だ」という論調は問題外。あくまで原発の是非は、現在の技術力でどれだけコントロール可能な技術かどうか、メリットとリスクを秤にかけることで語られるべきだ。同様に、原発是認のスタンスを取る人間も、反原発側の主張を「左翼の戯言」「プロ市民のプロパガンダ」と感情的に排すことなく、フラットな視点で議論すべきだろう。
ここまででも十分長文なんだけど、さらに余談。

昨日水を買いに走る主婦の「放射能が怖くてずっと家に引きこもっていた」というコメントを見かけたけれど、百歩譲って家を出ないことは本人の安全管理としてありだとして、彼女はちゃんと誰かと会ったり話をしたりしているのだろうか。友達でも親でも配偶者でもいいけど、きちんと煮詰まらないよう肩の力を抜く助けになってくれる相手はいるんだろうか。家にこもってほとんど誰とも話さずテレビばかり観ているのだとすると、母子ともにそれが原因で病みかねない。

わたしが震災当初の精神的ダメージと不安から立ち直った要因は、睡眠と食事をきちんととるようにしたことと、テレビを消したこと、そして毎日同僚や家族友人と会い、話したり笑ったりするようになったことだ。同様に震災後一週間近く青い顔をして恐怖に震え続けていた同僚は、夜通し2ちゃんねる原発関係の掲示板を眺めるのをやめて、きちんと睡眠を取るようにした翌朝、つきものが落ちた顔で現れた。以降健やかな精神状態を保っている。

あのアウシュヴィッツでも「他人を思いやる人間の心を忘れなかった者」「美しいものへの感性を忘れなかった者」が多く生き延びたのだという。とにかく、難しいことだけど、できるかぎり「正しく恐れる」こと。まだまだ先は長いんだから、心がすり減らない程度に。