メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

まだちゃんと向き合えないでいる

十年以上前の話だけど、大学で防衛大を中退してきた女の子と友達になった。わたしが九州出身だということを知った彼女は、無邪気に「防大って、すごく九州の人が多いんだよね」と言った。端的に言葉にすると誤解を生むかもしれないけれど、そのときわたしは防衛大に九州出身の学生が多い理由を「貧しいからだ」と思った。実のところ今でもそう思っている。実際、祖父母の暮らす農村では、学校に進むだけの経済的余裕もなく、生活を安定させる手段として自衛隊入隊を選ぶ人が過去にもいたし、今もいる。

年末に、知人の勧めで『こども東北学』という本を読んだ。東北の農村で生まれ育った著者の体験、東北が日本の中で歴史的にどのような地位をもつどのような土地だったか。そしてなぜ福島に原発が作られ、今後福島の子ども達はどうやって彼らの暮らす場所と付き合っていくのか。学術に傾かず、率直な素朴な視点で語られる東北、日本の田舎について興味深く思うと同時に、風土も歴史もまったく異なる故郷九州が、著者山内さんの語る東北と重なって見えた。なぜわたしたちは、方言を恥ずかしく思ってしまうんだろう。そんなことすら我が身に重なり、よくわからない共感、よくわからない故郷への罪悪感、いろいろな気持ちがわき上がってきた。

昨年は、本当にたいへんな年だった。被災された方々に比べればわたしの感じた逡巡などちっぽけすぎるとわかってはいるけれど、自分なりにいろいろな価値観のゆらぎに出会い、今もそのゆらぎに向き合いたくて、多分まだ向き合いきれていない。だからまだ、何も書けないんだけど、いつか、今こうして頭の中体の中に渦巻いているものを言葉にしたい、しなきゃと思っている。

わたしはずっと都会に憧れていた。わたしが憧れ、今享受している都会的な暮らしを支えてきたのは、わたしの欲望を支えてきたものの一旦は、おそらく原子力で作られたエネルギーだった。わたしみたいな人間の欲望が田舎をどんどん貧しくさせ、そういった地域が金銭とひきかえの危険を受け入れざるを得なくなった。多分。

わたしは今、ゆっくりとでも、原発はなくすべきだと思っている。原発の電力なしに日本が立ち行くようであれば、あんなものなくしたほうがいい。ただし、もし今すぐ原発を完全に止めてしまうことで、経済や産業に大きな影響が出てしまうのだとすれば、どうだろう。経済的な豊かさと絶対的な安全のどちらを優先すべきなのかという点についてはまだ、自分の中で答えを出せずにいる。

わたしは、仕事を失って苦しんでいるたくさんの人々と向き合ってきたし、今も人と仕事の問題に向き合い続けている。放射能で人は死ぬかもしれない。でも、不景気で、失業でも人は不幸になるし、死ぬ。嘘じゃない、山ほど死ぬ。そういう現実と感情の折り合いがなかなかつかなくて、結局あの日から一年近く経ってもわたしの心は宙ぶらりんなままでいる。

こども東北学 (よりみちパン!セ)

こども東北学 (よりみちパン!セ)