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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

戯曲を読む

本のはなし

シェイクスピアを2冊読んだ。喜劇『十二夜』と、歴史劇『リチャード三世』。どちらもはじめて読む。シェイクスピアは有名なので、筋や名台詞だけで知ったつもりになっていたけど、実はほとんど知らない。『リチャード三世』は映画では観た。『十二夜』はどんな話なのかもわかっていなかった。活字で読んだことがあるのは多分『ロミオとジュリエット』だけ。それも、毎年生徒に英語劇を課していた母校へ教育実習に行ったため、読まざるを得なかったから。

戯曲を読むというのが、どうも苦手だった。大好きな安部公房ですら、戯曲となると読むのが億劫だった。わたしの心の中に、戯曲は演じられてはじめて作品になる、という先入観があったことも確かだし、単に台詞の羅列を読むのが面倒だったというのも本音。自分では意識していなかったけれど、わたしの読書は良く言えば(?)省エネ、悪く言えば怠惰なものなんだと思う。詩を読むことが得意でないのも、戯曲が苦手だったのと根っこは同じで、想像力で補完しながら読むことを怠っているんだろう。小説が詩や戯曲より劣ったものだとは、これっぽっちも思わないけれど、読んでいるときに必要とされる最低限の想像力みたいなものは、やはり違っているような気がする。

そんなこんなで長年戯曲には手を出していなかった中、「そういうタイミング」に恵まれたので、とりあえずの2冊。読みやすい小田島訳を選んだことも功を奏したのか、スムーズに、楽しく読むことができた。戯曲という形式にも、まったく読み辛さを感じなかったことには驚いたけれど、それは作品の特性によるものなのか、それともわたしが変化したのか。ひとつ確かだったことは、この2作品(シェイクスピアは大体そうなんだろうけど)のリズムの良さ。日本語訳でも言葉遊びや韻が重視されているから、気持ちいい。わたしは文字を目で追うような読書はあまり得意でなくて、文章はリズムだと思っている。年々、リズムをより強く意識するようになってきた中で、声に出して読むことを前提に作られた文章が心地よく感じられるようになってきたのかもしれない。