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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

いってしまうの

よしなし

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お餅が好きじゃなくなった、と言ったら母はちょっと悲しそうだった。なんかさ、餅米ってもたれるんだよね。大人になって克服したものがあることはさんざん自覚していたけれど、逆に好きでなくなったものもたくさんある。母はわたしに「今度ぜんざい用に煮た小豆を送るけど、お餅じゃなくて米ん粉*1をいっしょに入れるね」と言った。

祖父が亡くなったのはもう6年ほど前だったろうか、わたしが東京に転勤して間もない頃。祖父が亡くなった後もしばらく自宅で一人暮らしをしていた祖母は、じき、施設入居を余儀なくされた。気づかずに痛んだ食品を食べ体を壊す、調理中にコンロのことを忘れぼやを起こす。しかたないことだった。

当初は「むげねえ、むげねえ*2」と泣き暮らしていた祖母だが、じき広くて寒い自宅より空調のきいた施設を好むようになった。帰省するたび会いに行き、一緒に外食をした。近年認知症が進んでからも、年越しだけは施設に置いてはおけないから、外泊許可をとって連れてきた。祖父母が暮らした家ではないけれど*3、娘と(娘の夫と)孫と過ごす年末年始を、祖母はとても楽しみにしているようだった。浮かれすぎて、普段は食が細っているのに、家では食べ過ぎてしまい、あとで体調を崩してしまうこともたびたびだった。

晩夏に帰省した(これは、がんの告知を受けた父の容態を気にしてのことだった)ときは元気で、一緒にピザを食べに行って、美味しいコーヒーも飲んだ。元気そのものだった。だから「脚が弱っておむつするようになったから、外泊させるのはきびしそうよ。元日に日帰りで連れてこようか」と聞かされたときも、一時的な体調不良だろうとたかをくくっていた。

つい先日、帰省していた2013年12月30日に、病院から連絡を受けた。呼吸の状態が悪くなり、施設から病院に搬送されたのだという。慌てて病院へ駆けつけると、祖母は酸素を吸入しながら眠っていた。苦しそうだから声はかけなかった。先生は、軽い肺炎だけどもそもそもの問題は栄養失調なのだという。施設で出された食事を残すことが増え、祖母は一年で7キロ痩せていた。

大晦日の午後、再度病院へ行った。祖母はてっきり、母とわたしが年越しのため迎えにきたのだと思ったようで、「栄養失調で具合が悪いから帰れないんだよ、食べて元気にならないと」と声をかけると、さめざめ泣いた。認知症の祖母は、自分の体調を自覚できない。息が苦しいことも、理解できない。だから「どこも悪くないのになぜ病院にいるのか、年越しを家族と過ごせないのか」と思い、泣くのだった。

その後、胃腸炎を起こし、食事はとれないままで、今日実家から連絡を受けた。先生の見立てだと「あと1〜2週間、もしかしたら連休を越せないかも」とのこと。あわてて、週末に泊まりに来る予定だった友人に謝罪のメールを送りキャンセルする。帰省に備えて、航空会社の株主優待券も買っておかなければ。お年寄りは冬に体調を崩すと一気にがくっといってしまう、わかっていても頭の整理が追いつかない。「正月も帰れんのな(お正月ですら家に帰れないのか)」と泣く姿が、わたしの中で、最後に会った祖母の姿として記憶されるのか。やりきれない。

でも、きっとわたしは冷静だし、通夜と葬式では泣くだろうけど、じき立ち直る。祖父のときもそうだったし、こうやってわたしは別れに慣れてきたのだから。そして、祖母を見送り、次に、父(ずいぶん体力が落ちてきたし、抗がん剤の副作用もひどい)を見送ることになる。お餅は胃もたれするのなんて言いつつ、ここ数年で、中年に近づきつつあるわたしの体重は目に見えて増えた。祖母の身を案じながら、「喪服が入らなくなってるかも」と真剣に思い悩む自分のことが憎たらしい。でも大人になるってきっとこういうこと

*1:上新粉(お米を粉状にしたもの)」の大分弁

*2:大分弁で「可哀想」「情けない」の意

*3:その家には今では誰も住まず、ネズミやイタチの襲撃から少しでも守るために、定期的に燻蒸剤をしかけている。