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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

He was uncool. And god, he was just so fucking beautiful.

米俳優フィリップ・シーモア・ホフマンが亡くなった。享年46歳。ニューヨークの自宅バスルームの床で、腕に注射針が刺さったまま倒れているところを発見された。近くにはヘロイン入りの封筒が落ちていたという。

若い頃にドラッグとアルコール依存に苦しんだという話は知っていたけれど、しょせん過去のことだと思っていた。だから、ヘロイン依存の治療施設に入ったという報道を見かけたときはとても驚いた。訃報に関連する記事を見る限り、彼の薬物依存は相当に深刻な状況だったようだ。部屋には70袋のヘロイン。近所のATMで大金を引き出しドラッグの売人に渡しているところも目撃されており、月のドラッグ関連支出は1万ドルに上っていたとのこと。それでも彼と「オーバードーズで死亡」という事実は、わたしの中で今もうまく結びついてくれない。

スクリーン越しのPSHは、知的で理性的な俳優に見えた。名優と呼ばれる中には、一見して内に潜む闇をうかがわせる人物が少なくない。狂気とぎりぎりのところで役柄にのめりこむ危うさをさらけ出すタイプの俳優。一方でPSHの演技からは(温厚な熊のような外見によって毒気が中和されて見えただけかもしれないが)我も忘れる憑依型といった印象は受けない。役柄をするすると彼自身に引き寄せ、自然なままに演じきる。「カポーティ」こそ綿密な作りこみが目を惹いたが(そして、アカデミー賞はそういった演技を好む)、それでも基本的に彼は常にフィリップ・シーモア・ホフマンのままで、「善良な看護師」も「新興宗教の教祖」もさらりと自分のものにする。彼の笑顔(あの目!)は底知れない善良さと恐ろしさを感じさせるからこそ、『ダウト』の神父や『ザ・マスター』の教祖が映える。けれど、彼が演じる危うさが自身の内面に根ざすものだとは思わなかった。気づけなかった。要するに彼は、役者だった。

ニュースサイトをあてどなく彷徨う中で、この記事のタイトルにしているフレーズに出会った。まさしくそうだと思った。彼はどうしようもなく美しかった。別の記事で、「ケイデン・コタード」が彼のグレイテスト・ロールだと書いている記事を書いた人のことは、抱きしめてキスしたいと思った。そういえば、46歳よりも老いていく彼の姿を、少なくともあの映画の中では追いかけることができる。何度でも(ありがとう、チャーリー・カウフマン)。

その映画のある場面(劇中劇の葬式)。

And the truth is I'm so angry and the truth is I'm so fucking sad, and the truth is I've been so fucking hurt for so fucking long and for just as long have been pretending I'm ok, just to get along, just for, I don't know why, maybe because no one wants to hear about my misery, because they have their own, and their own is too overwhelming to allow them to listen to or care about mine. Well, fuck everybody.
Amen.

RIP Philip Seymour Hoffman.
(あなたがいなくて、とても寂しい)