メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

本当はわたしだって、わがまま言いたい(いやいやえん|中川李枝子作、大村百合子絵)

友人が子どもを産んだので、出産お祝いとして毎月1冊本を送ることにした。絵本や児童書は嫌いでないとはいえ、特に乳幼児向けの絵本は、自分が読んでいた頃の記憶がない分、子育てをしたことのないわたしにとっては判断基準がなく、選ぶことがなかなか難しい。しばらくは単純ではっきりした色柄のもの、感覚的な読み聞かせができる擬音中心のものを贈ろうと思っている。

あまりに定番のものは、既に揃えているのではないかと危惧していると「子ども用の本は一冊しかないから、定番でもなんでも大歓迎」とのメールをもらった。よかった。せなけいこも送っていいんだ。長新太も、荒井良二も、マリー・ホール・エッツも送っていいんだ。

さて、ここで質問です。彼女が持っている唯一の子ども向けの本とはなんでしょう?

答えはこちら。

いやいやえん―童話 (福音館創作童話シリーズ)

いやいやえん―童話 (福音館創作童話シリーズ)

 

 わたしも大好きで、幼少の頃から何度も何度も繰り返し読んできた『いやいやえん』を、彼女も大好きなのだという。

この有名な本について今更あらすじを説明するのも野暮かもしれないが、一応軽く触れておくと、きかん坊の(大分弁ではこういう子を「しとめん(手の付けようがない)」「くされ(性根の悪い)」と形容したっけ)幼稚園児「しげる」が、わがまま放題しながら、最後には言うことをきかない子ばかりが行く「いやいやえん」に連れて行かれてしまう。

「しつけ本」に入るような、入らないような、実に魅力的な本なのだ。

大人の言うことをきかない子がひどい目に遭う(ときに改心するところまで描かれる)「しつけ本」は、絵本や童話など、フィクションと現実の境があいまいである故にこういった脅しを真に受けやすい年頃の子ども向け書籍において珍しくはない。個人的に教育的な書籍はあまり好きではないものの、これらの本については、「しつけ」をされる必要性がじゅうぶんにある子、すなわち大分弁で言うところの「しんけんしとめん(ものすごく手の付けようがない)」子どもを出さなければならない。このきかん坊、そして彼(女)のむちゃくちゃな行動が、ときにとんでもなく魅力的なのである。

『いやいやえん』のしげるは、一日に17個のルールを破ってしまうくらい自分勝手で、押し入れに閉じ込められそうになるたびに「わかったよう」と言いながらも、懲りずに同じことを繰り返す。「ちこちゃん」では小さなちこちゃんに意地悪をする(もちろん「くじらとり」など、年長の子どもにしげるがやり込められる場面もあるのだけれど)。「やまのぼり」では決められた数以上に果物を食べまくる。最後「いやいやえん」から帰るときには、さすがに「ちゅーりっぷほいくえんのほうが、ずっとおもしろいよ」と殊勝なことを言っているが、翌日以降彼の振るまいが大人しくなるかといえば怪しいものだ。

心がほんわりあたたまる「こぐまのこぐちゃん」をはじめとする収録作品だって、ベースにあるのは子どもの自由奔放さ。これは「しつけや改心」のための本ではなく、ひたすらしげるや子どもたちの「自由さ」や「懲りない狼藉」を見てすっとするための本なんじゃないかと思う。当然ながら『いやいや園』を読み返すたびわたしは大人になってきた。そして、年々しげるの懲りない姿を愛らしく、また爽快に感じるようになっているのである。

わたしだって顔を洗いたくない! わたしだって嫌いなもの食べたくない! わたしだって人のものを横取りしたいときだってある!

年を重ねるごとに「わがまま」を抑えることが上手くなる一方で*1、我慢を重ねれば重なるほど「いけないこと」への欲求もまた積み重なっていくのだろう。今回久しぶりにこの赤い(しげるの嫌いな「赤」)本を手にして、以前以上にしげるの無茶を痛快に感じた。きっと次読み返したらもっと。

もしも、もしもわたしがしげるの行いを小憎らしく感じる日が来るとするならば、それは、「子のわがままに悩まされる母親」になったときなのかもしれない。けれど、なかなかそういった見込みの立たないわたしはこれからも腹の底で子どものわがままに快哉をあげ続けるのだろう。

*1:でも「嫌いなものは食べない」「顔を洗わない」など、大人になれば「やる気になれば誰にも叱られずにできる」いけない行為も増えるといえば増えるのである。お菓子も漫画も、いくら買っても怒られないので、大人最高! と思うことは実はとても多い。