メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

駅前の小さな本屋さんで本を選ぶときの感覚と似ている

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(※最近Paperwhiteの調子が悪いので、なんでもiPad miniで読んでいます。)

Kindleのコレクションを整理していると、「なんでこんな本買ったんだろう」と思う本がちょこちょこ紛れている。ごくまれに「極めて面白くなかった本」もあるけれど、たいていの場合「なんでこんな本」=「書店だったら決して手に取らないであろう本」のことである。

Kindle4を購入したのが2012年の1月だったから、それから3年。Amazonが日本でKindleの取扱いを開始したこと、他社の参入もあって、あの頃と比べ電子書籍を読むことは珍しいことでなくなったし、買うことのできる本の種類もずいぶんと増えた。

わたしにとって長らく電子書籍は「活字を読むもの」だった。しかしここ最近タブレットで雑誌や漫画を読むことを覚えてしまい、こうなると購入量は増えるばかりである*1。装丁を含めて紙であること自体に価値がある本、どうしても読みたいのに電子書籍になっていない本は、今も書店まで足を伸ばして買う。けれど、保管場所に困って後々手放すことを考えると、電子で買える本はできるだけ電子で買いたいと思ってしまう。

夜中や出歩くのが面倒な休日は、電子書籍ストアでうろうろと検索をかけて過ごす。なんでビジネス書や実用書ばかりなんだろうと愚痴をこぼしたくなることは多い。かと思えば「こんな本が電子化されていたなんて!」と掘り出し物を見つけて小躍りすることもある。

こんな感覚どこかで味わったことあるな、と最近考えていて、ふと思い当たった。

学生時代に住んでいた部屋は常磐線(各駅停車)沿いの小さな駅が最寄りで、日々切実に活字を求めていたわたしは駅前の小さな書店に頻繁に足を運んだ。ごく小さな店なので、雑誌と漫画とベストセラーが店のほとんどを占めていた。大学の近くにはもう少し品揃えの良い書店があり、そちらの方が本を買うには適していたけれど、それでも手持ちを切らすことはある。当時「本を持たずに電車に乗ること」ができなかったので*2、授業に遅刻しそうになっても、待ち合わせに遅れそうになっても、その店で一冊の本を手にするまでは駅の階段を登ることができなかった。今思えばちょっと神経症的だったかもしれない。

おかげで、その小さな書店にある「ベストセラーの中で、ちょっとは面白そうなもの」「自己啓発書に紛れて置かれている心理学書」「ゴシップに紛れて置かれているドキュメンタリー」「なんとなく読まないまま来た教科書に載っているような作家の定番」そして「村上春樹」あたりを拾い上げては読んだ。一度読み流しておしまいのものもあったし、気に入った作家を見つけることもあった。

大量のビジネス書と実用書、「小説」を探していると文学もライトノベルボーイズラブもポルノもごちゃまぜに検索結果にあがってくるKindleストアで砂金を探すようにして面白い本を探す行為は、あれとちょっと似ているのではないかと思う。

もちろんわたしはそういった作業が嫌いではない。

*1:なんといっても、電子書籍で小説や人文書の品揃えはまだまだである一方で、漫画の充実ぶりは素晴らしい。続きが気になっている興奮状態でついつい続刊を大人買いしてしまうのはわたしだけではないと思う。場所もとらないし。

*2:もちろん当時スマートフォンはなかったし、携帯電話はパケット従量制の時代だったから、インターネットで暇をつぶすこともできなかった。