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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

松本大洋「Sunny」、言葉と居場所と

よしなし 本のはなし

久々に読んだ松本大洋の漫画、「Sunny(現在5巻)」が素晴らしい。1970年代の児童養護施設を舞台に、そこで生活する《それぞれの事情によって親と暮らすことができない》子どもたちや、彼らをとりまく大人の姿が、生き生きと細やかに痛々しく、でも温かく描かれている。ちなみに1巻が5月11日までKindleストアの「期間限定無料」お試しセールにかかっているので、未読かつKindleが使える状況にある方は是非読んでいただきたい。

Sunny(1) (IKKI COMIX)

Sunny(1) (IKKI COMIX)

 

 物語は、児童擁護施設「星の子学園」に小学3年生の山下静が預けられるところからはじまる。母親は「夏までには迎えにくる」と言い残すが、静と同年齢で、学園ですでに数年間暮らしている春男は「帰れるわけないやろ。お前、捨てられたんやぞ。」と言い放つ。大人立ち入り禁止の遊び場として使われている廃車サニーの運転席で、動かない車のハンドルを握り、アクセルを踏み、静は住み慣れた横浜の団地へ車を走らせる想像を巡らせる。

漫画自体は春男を主軸に据えつつも、子どもたちや周囲の大人それぞれにフォーカスしたエピソードを1話完結で繋げていく群像劇だ。エピソードが積み重なるにつれて、登場人物各々が抱える事情や心情が明らかになり、それを踏まえて読み返せばまた新たな気づきがある。

子どもたちは自分たち「学園の子」と「家の子」を分けて考え、親と生活する「家の子」に憧れ、羨み、ときに憎む。朝子、研二兄弟のように中高生になると周囲や、責務を果たさない親との関係も(少なくとも表面的には)ある程度割り切るようになるが、9歳やそこらで諦観しろというのも無理な話だ。彼らは親と暮らしたい。親に愛されたい。親に肯定されたい。たくましく施設の生活に馴染み、園長やスタッフ、仲間たちを愛すると同時に、子どもたちはそれを憎み否定する。

静の母親は夏までに迎えに来ることはなく、冬になった頃、こんなやり取りがあった。

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(「Sunny(1)」電子書籍版195ページ、松本大洋小学館IKKI COMIX)

静は答えない。朝子が「春男も最初に施設に来たときは東京の言葉を使っていた」と思い出話をはじめ、静の話し言葉については掘り下げられることなく、話題は春男に移っていく。推測するに星の子学園は三重県にあり、子どもたちも基本的には三重の方言を話す。子どもはすぐに方言に染まる傾向があるが、静はおそらく半年以上が過ぎても、言葉を変えない。こういったささやかな場面がその後の静の行動の伏線となる。

言葉はときに話者の帰属を定義する。

古今東西少女は「仲間だけで通じる言葉」を作るのが好きだし、やくざ者は彼ら独自の言葉を持つ。小学校3年生で施設に来た静は年齢より大人びた精神性を持つ子どもで、だからこそ彼は言葉が自身の帰属を表すことに自覚的なのだろう。「ここは自分のいる場所じゃない」「母親がもうすぐ迎えに来る」「横浜の団地に戻ってまた家族で暮らす」、その信念のためには自身は「星の子」に、三重の人間になってはいけない。あくまで一時的に預けられているだけで「横浜で親と暮らす」本来の自分を保つために、彼は横浜の言葉で話さなければならないのだ。

一方で同い年の春男は、より幼い時期に施設にやってきており、今ではすっかり三重の言葉を話す。しかし、久々に会った母親から方言を指摘され、その後ふとしたきっかけで感情を爆発させた春男は、一緒に暮らしたいと母に懇願する中で「言葉も直すから」と訴える。春男は、母親と自分が異なる言葉を話すこと、さらに母親が自分の話す言葉に好意的でない反応を見せたことに、どうしようもない溝を感じている。そして、道ばたで出会った人間の話す「東京弁」に、くすぐったいような憧れるような表情を見せる。

「Sunny」にはさまざまなエピソードがあり、どれも心に残るものばかりだけれど、わたしにはここに挙げた「話し言葉」に関する描写がとりわけ印象的だった。

以下余談。

海外で暮らす友人を訪ねたことがある。彼女は外国語が堪能で、社交的で、日本人のほとんどいない環境に何のストレスも感じていないように見えた。しかし、彼女はふと「英語で話す自分と日本語で話す自分は、ちょっと人格が違うような気がする」と言った。彼女は「複数の言葉を操る」一方「話す言葉が自身を定義する」気持ちを味わっているのだろうか。

わたし自身は、中学生の頃、自分の居場所に強い違和感を抱いていた。いじめや家族不和といった何かがあったわけではないので、今も理由はよくわからない。田舎の子どもにありがちなエクソダス願望と言ってしまえばそれまでだが、その違和感は「話し言葉」に現れた。ある時期から地元の方言を使わなくなったのだ。意識的にやっているつもりはなかったが、今思うと十分意識的だったのだと思う。わたしは地元の言葉を拒むことで「ここはわたしの居場所ではない」ことを主張していたのだと思う。明確な反抗期のない良い子ちゃんだったわたしの、思えばあれこそがささやかな反抗だったのかもしれない。