メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

さくらせかい『いしゃがよい』、家族について絆について

しばらく前に友人が子どもを産んだ。

彼女はひとりで産んで、ひとりで育てることを選んだ。

遠く離れたわたしは何もできないけれど、せめて毎月一冊の絵本を贈ることにした。その子がいつか何かにぶつかったとき、ひとりでも多くの人が自分を気にかけていたという記憶や事実が助けになればいいと、ひそかにそんなことを考えている。思い上がりかもしれないけれど。

自分がこの先子どもを持たないかもしれない、持たない可能性が高い。ここ数年将来像が現実味を増すと同時に、じゃあわたしには「自分の子でない子どものために」何ができるかを考えることが増えた。

いしゃがよい (幼児絵本シリーズ)

いしゃがよい (幼児絵本シリーズ)

 

赤ん坊には早すぎる内容だというのはわかっていたけど、つい贈ってしまった一冊。読み聞かせながら自分が泣いてしまったよ、と友人は言う。

山で迷子のパンダを見つけたエンさんは、ファンファンと名付けて育てます。エンさんは体の弱いファンファンを自転車に乗せて、山を二つ越えて医者通いします。やがて、ファンファンは、大きく丈夫に育ち、今度は年老いたエンさんを自転車に乗せて医者通い。ふたりの温かい交流を描きます。福音館書店ホームページより)

子ども向け絵本として考えれば、これはまず「子を思う親、親を思う子」の支え合いの話だと受け取ることができる。それと同時にエンさんとパンダが異種であり血縁関係がないという点が、わたしにはとても大切に思えた。

家族のあり方については様々な立場があり議論があると承知している。ただ、不勉強ながら知りうる範囲の情報をもとにわたしが思うのは、いろんな家族のかたちがあって、それぞれが尊重されるようになれば良いということ。「正しい家族のかたち」にとらわれることで、子どもを持つことが難しくなったり、子どもの環境が硬直的になったりする部分があるのではないか。例えば日本や、カトリックの多い国では、婚外子の割合が非常に低いが、それは果たして良いことなのか。事実婚婚外子を巡るスティグマがなくなることは、そういった環境にある子どもが生きやすくなるだけでなく、少子化への好影響もあるんじゃないかとか。極論ではあるが、「形式的な体裁の整った機能不全家庭」で育つのと、現状の「正しい家族のかたち」とは異なる環境下で十分な愛情やケアを受けて育つのと、どちらがいいんだろうかとか。いろいろと考えるところはある。

ひとり親の家庭。養子縁組の家庭。ゲイカップルが子どもを持つこともあるかもしれない。そこに十分な愛情とケアがあり、かつ「世間様」の視線によるディスアドバンテージがないとすれば、何か問題はあるのかな?

『いしゃがよい』で、エンさんに配偶者らしき人物は見当たらない。当然のごとくエンさんはヒトで、ファンファンはパンダで、彼らの間に血縁関係はない。

それでもそこには絆が生まれ、情が生まれる。