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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

「小さくて可愛いものボックス」

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以前やっていた、エッセイと書評のサークル(的なもの)のメンバーと久々に会った。新宿の地下にある感じの良いバーで、お酒を飲んで近況の報告や懐かしい話なんか、花が咲く。

メンバーには少し年上の女性がいて、彼女の名前はわたしの姉の名前と同じ。きっちり韻を踏んでいるわけでも同じ漢字を使っているわけでもないけど、聞けば「ああ姉妹なんだな」と思われる似た響きを持つ名前だ。

「メールでSさんと名前を並べて書かれると、姉妹感あるんですよね」と言いだしたのはわたしだった。流れで我が姉妹の名の由来などを語っていると、ふと2人の女の子の母親であるSさんが言う。「でも響きが似ていると、親御さんから名前間違われなかった? わたし、娘たちの名前がすぐごっちゃになっちゃって。夫はどっちの話をしているか、文脈で判断しているみたい」

我が家の場合、わたしが大学進学で家を出るまでは「お姉ちゃん」「あーちゃん」というのが家庭内での一般的な呼び名だったので(当時は姉の一人称も「お姉ちゃん」だったし、わたしの一人称は自分の名前だった)、あまり混同された覚えはない。しかし、確かに、わたしが家を離れた後は、「家の中で声をかける相手=姉」という思考回路ができたのか、両親も祖父母も、たまに会うわたしに姉の名で呼びかけることが増えた気がする。

「それどころか、亡くなった祖母なんて犬の名前でわたしに呼びかけてましたよ」とわたしが言うと、すかさず同意したのは成人したお子さんを持つ男性2人。少し遅れてわたしより少し若い男の子も「僕も実家でやられます、それ」と重ねる。ついつい愛犬の名でお子さんに呼びかけてしまう、というのはどうやら、多くの家庭で共通して起こっている事象であるらしい。

「同じ箱に入っているからね」と、言ったのは詩人の先生。

ああ、同じようなことを祖母も言っていたな、と思う。たとえ成人しようと独り立ちしようと、子や孫というのはいつまでも「小さくて可愛い」ものだというイメージがある。だから、同じく「小さくて可愛い」ペットの犬と、つい呼び間違えてしまうのだと。「小さくて可愛いものボックス」にしまってある大事なものは、瞬時に取り出そうとするとときに間違えたものに指が触れ、そのまま引っ張り出してしまうことだってあるだろう。

そんなことを考えていると、間違えて姉や犬の名を口にし、慌てて言い直す祖父母や父の声がふっと浮かんでくる。二度と聴くことのできないそれらの声は、わたしの中の大切な「懐かしくて愛おしいものボックス」にしまってあるものだ。