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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

若者が可愛く思えてきました

よしなし

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大人になってはじめて知ったことの一つに、「ひとは大人にはならない」ということがある。精神年齢は16歳から一歩も進まず、あれから20年余が経って、一昨年思ったより早くに父を亡くしたわたしの「基準」は父が死んだ年齢になったから、日々「ああ、わたしの人生も折り返しは過ぎたんだろうな」と思って生きている。

特に劣等感や寂しさを持つわけでなく、段々と予感が確信に変わってきた「自分は他者と生活することはできない」「自分は他者に責任を持つことはできない」という感覚。結婚もせず子も生まないだろうという確信が現実に変わりつつあるなかで、一方広い意味での子どもや若者への思いが増しているのを感じる。

わたしは産み増やさない。

どれだけ働いてどれだけ税金を納めようと、埋め合わせにならないくら罪深い行為だと見なす人もいるのかもしれない。

でも、多分わたしは産み増やさない。

若い後輩やインターンシップ生、仕事を通じて出会う学生や友人知人の子。また、子育てと仕事の両立に悩んでいる同僚たち。彼らをサポートすることで、わたしはわたしなりに、ひどく遠回しなかたちで若者や子ども、次世代に関わろうとしているのだと思う。逆に言えば、わたしはそういう遠回しなかたちでしか彼らに関わることができない。

わたしはフェミニストではないつもりだけど、比較的男性の多い会社社会の中で、男と女、家庭と働くことについて考えさせられることは多い。そろそろ皆さん結婚と出産を終えた年齢になると、わたしのような未婚子なしの女は、組織の中で「男と女の中間」みたいな立ち位置に置かれていく。わたしは自分の選択の結果として、望んでそういう位置にいるわけで、仕事のサポートという遠回しなかたちで同僚たちの育児に関わったり、男と女の中間として両者をつなぐ何かができればいいなと思っている。もちろん仕事についていうならば、男か女か、子持ちか子なしか、介護してるか否か、そういった事情に関わらず、みんなが無理のない柔軟な働き方を実現できるのが一番なんだけど。まあ、目下そこまで一足跳びにはいけないから。

そんなこんなで、わたしはわたしなりに、若い子と触れ合ったり、若い子のことを考えるのが、楽しかったりもするのです。