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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

せなけいこ『ねないこはわたし』を読んで、つらつら

 

ねないこはわたし (文春e-book)

ねないこはわたし (文春e-book)

 

 物心つくかつかないかの幼少時に読んで(もしくは読み聞かされて)強く印象に残っている本はそう多くない。そういう意味では、鮮烈に記憶に残っているせなけいこさんの『ねないこだれだ』と、字を覚えてまず読み始めた講談社少年少女文学全集の「グリム童話」が今のわたしのベースになっているのは多分、当然のことなのだろう。

臆病で、ひとりでトイレにも行けなかった。

怖い本を部屋に置くと呪われて不幸な目にあうのだと信じていた。

キョンシー映画で眠れなくなり、そっと息を止める練習をした。

しかし、振り返ればそれと同時に『ねないこだれだ』が大好きで、グリム童話集の不条理で残酷な(シンデレラの姉は足指やかかとを切り落とし、同居するハツカネズミと小鳥と腸詰はどんどん死ぬ)世界に惹かれた。怖い怖いと言いながら怖いものに惹かれていたわたしの性根は、幼児の頃から今まであまり変わっていない。

さて、本題だが、せなさんの自伝的エッセイ絵本。一見「しつけ絵本」と思われがちな作品が、実はそうではないこと。子どもはおばけが大好きで、むしろおばけの世界にとんでいきたいんじゃないか、自分もおばけに会いたい。そんなことが語られる。

また、お子さんを育てる中での思いや気づきが絵本になり(お子さんには嫌がられていた様子)、落語家のご主人の影響で、落語から得たインスピレーションもまた絵本になったこと。生まれ育ちや母親、師匠との関係。決して厚い本ではないし、言葉が多いわけでもないけれど、語りの内容と絵を見比べながら「そういうことだったのか」と、ひどく感慨深かった。

子どもは怖いものが好きで、惹かれるけど、やっぱりちょっと怖いから、親や大人に「一緒に見て」とそばにいてもらいたがるーーという趣旨の記述を読んでいて、そういえば河合隼雄先生もどこかで同じことを言っていたっけ、と思い出し、探ってみると、あったあった。

 子どもが怖い話を聞きたがるのは、自分の好きな人に話をしてもらっていれば怖いけれど怖くないからである。その両方を味わっているのだ。

河合隼雄ケルト巡り』NHK出版)

この「怖いけど怖くない」という気持ちは子どもには、すごく大事なものなのかもしれない。怖いものを知り、でも好きな誰かがそばで守っていてくれる感覚も知っている。その安心感が染み付いてこそ、将来ひとりで怖さに向かい合うことができるんだろう。

ところで、わたしの「ねないこだれだ」おばけトートはすでに2代目に突入している。というのも、うっかり事故により、昨年ロンドンに持って行ったカバンが「ねないこだれだ」おばけトート(1代目)のみだったからだ。黒地のトートは半年間のヘビーユースにより色あせ、型崩れが見過ごせないほどになってしまい、結局再度購入。先代とはトートの形状がやや異なるものの、2代目も通勤に旅行に活躍してくれている。

国内で持っていると「あ、これ絵本ですよね」と声をかけられ、会話の糸口になる。

海外で持っていると「かわいいバッグですね」と褒められ、つい「日本のロングセラー絵本のキャラクターなんです」と関係者でもないのに胸を張ってしまう。

せなさんの描くおばけは、そういうおばけ。