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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

暴力のスイッチ、そして「逃げるが勝ち」ということ(3)

(前のエントリーの続きです)

それとは別に、上階の異変。早朝の掃除機音

さて、真下の1A号室住人によると思しき郵便受けへの不要チラシ詰め込みに悩まされるわたしだったが、実はそれより少し前からだか後からだか(正直、時期ははっきりと覚えていない)、真上に位置する仮称3B号室にも異変が起こっていた。

ある朝、わたしは上階の物音で目を覚ました。

その物件は鉄筋コンクリート造りで、家主曰く床には追加の防音材も入れてあり遮音性には優れているとのことだった。しかし、住宅街の中でもひときわ静かな場所に立地しており、その静けさゆえ上階の物音が聞こえることはたまにあった。

その日聞こえたのは、掃除機の音だった。

枕元のスマートフォンで時間を確認すると、なんと午前4時台。短い時間で掃除機の音は止まり、続いて窓が開く音とベランダで布団を振るようなバサバサという物音がした。出張か旅行で、早く家を出る必要か何かがあるんだろうか。しかしわたし自身あまりこの手のことを気にしないので、そのまま二度寝をしてしまった。さすがにこの日は上階の住人の行為を非常識だと感じ、職場で「上の部屋の人が4時台に掃除機かけてた」と愚痴った記憶がある。

その後、たびたび早朝に掃除機の音が聞こえるようになった。大体朝の6時前後。早いなあ、と思っては布団を被る。その他どこかから「どん、どん」と鈍い音が聞こえる日もあったが、これも当初はあまり気にかけなかった。近所に工務店のような自営のお宅があって、割と早い時間に職人さんが集まりだす日もあるので、てっきり外で何か作業が行われているのだと思っていたのだ。

鈍感すぎると言われればそれまでだが、少なくとも1ヶ月程度の間、わたしはそれが「3B号室の住人が早朝に掃除機の音を立てるたびに」「1A号室の住人が(恐らくは掃除機の音の発生源がわたしだと思って)彼にとっての天井(=わたしにとっての床)を叩いている音」であることに気づかなかったのである。

郵便受けへのゴミ投函。家にいると落ち着かない

8月のある日、共用玄関の郵便受けに「コンビニエンスストアの袋」と「使用済みの割り箸一膳」と「綿ぼこり状のゴミ」が入っていた。ただポスティングチラシを詰め込まれるのとはまた一味違う不快感に、ストレスは高まった。

家主に相談して迷惑行為をやめるよう張り紙をしてもらおうか? それとも自分で何か書いて貼るか。いや、まずは「ポスティングお断り」のサイン(ホームセンターなどで売っているプラスティックのボード)を買ってきてポストに貼ろうか。毎日のようにそんなことを考えるようになった。ただ、その頃には「ただの迷惑行為」より不気味なものを感じていたので、はっきりと反応を示すことが果たしてプラスに働くのか、という点も悩ましかった。反応を見せると嫌がらせがエスカレートする、というのはよくあることだし、わたしはそこに至ってまだ、放っておいたらそのうち飽きて迷惑行為をやめてくれるのではないかという甘い期待を抱いていた。

3B号室の掃除機音と1A号室の「天井叩き」のタイミングが一致することに気づいてからは、いくら鈍いわたしも「これは、騒音トラブルに巻き込まれているのではないか」と考えるようになった。郵便受けへの嫌がらせも犯人にとっては「騒音への抗議」のつもりなのではないかと思えてきた。この頃は毎日のように「騒音トラブル」「騒音 濡れ衣」「郵便受け 嫌がらせ」などのキーワードでネット検索し、類似の事象を探しては何か良い(かつ穏便な)解決策がないか探し回っていた。当初は「いくらなんでも3階の音が1階まで響くものだろうか」と思いもしたが、上下の部屋から聞こえる音のタイミングはぴったり符合しているし、どうやら鉄筋コンクリート物件では壁や床を通じて思いも寄らない方向、距離に音が響くことが珍しくないらしい。

3B号室に「早朝の掃除機をやめてください」と投書する、1A号室に「早朝の掃除機はわたしではありません」と投書する、そういった方法も考えた。しかし、騒音の加害者でもなければ、逆に上階に対してそこまでの迷惑を感じているわけでもないわたしがなぜそんな汚れ役をかって出なければいけないんだろう。他の住人との直接的なトラブルを避けたいと思うのは自然な感情だろう。オートロックの内側にいる者同士で、しかも相手の性別はわからないが、わたしは女の一人暮らし。ことを荒立てた場合のデメリットは想像もつかない。

結局わたしはここでも、放っておいたらいつか掃除機音が止んで、それに伴って郵便受けへの嫌がらせも床への突き上げもなくなるのではないかと淡い期待を胸に、とりあえず我慢することを選んだのだった。いっそ1A号室の住人が直接「掃除機やめてください」と抗議でもしてくれば、「わたしではない」と否定して、誤解が解けるのに。そんなことを考えてもいた。振り返れば現実から目を背けてひたすら「黙っていれば何とかなる」と自分に言い聞かせていたのは間違いだった。さすがに原因に思い当たった時点で家主には相談すべきだったと反省している。

ちなみに一度だけ、午前2時くらいに共用玄関のインターフォンが鳴らされたことがある。不気味だったが、このときは鳴らされたのが一度きりだったので「よその部屋を訪れた人間が間違えてわたしの部屋番号を押したのだろう」と自分を納得させた。新聞の件同様に、これも未だに偶然なのか嫌がらせなのかわからないままでいる。

8月は10日間ほど、9月は一週間ほど海外にいた。

自宅にいること、自宅を出入りするときに1A号室の前を通ること、また嫌がらせされていたらどうしようと思いながら郵便受けを確かめることに、わたしは思った以上に消耗していた。海外にいるあいだ「自宅から離れている」というだけで安らいだ気持ちになれるのは、なんだか悲しかった。

 

(次のエントリーに続きます)