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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

暴力のスイッチ、そして「逃げるが勝ち」ということ(4)

よしなし

(前のエントリーの続きです)

「暴力のスイッチ」としての「バナナの皮」

地球の裏側から戻って数日後、郵便受けの中に黒く変色しかかったバナナの皮が投げ込まれていた。8月に一度投げ込まれたゴミは「ビニール袋と、使用済み割り箸と、綿ぼこり」。使用済み割り箸も不愉快ではあったが、有機物、それも生ごみとなると不快度は数段上だった。この頃は諦観期で、日々詰め込まれるぐちゃぐちゃのチラシを黙って捨てていたわたしだが、さすがにバナナの皮には腹が立った。

まず、バナナの皮を取り出して、共用玄関の隅に置いた。「不愉快です、やめてください、自分で処理してください」というメッセージを込めたつもりだった。

翌日、バナナの皮は再びわたしの郵便受けに入れられていた。外出前で急いでいたこともあったし、さすがに腹も立った。これは(万が一1A号室の住人が犯人でなかったとしたら)怒りに駆られてやりすぎだったと反省しなくもないのだが、わたしはカッとして、思わずバナナの皮をつまみ上げ、1A号室の郵便受けに投げ込んだ。

ちょっとした報復行為。

それが「暴力のスイッチ」を押すことになるとは気づいていなかった。

深夜のインターフォン連打、そして

その晩、わたしは明かりを消してタブレットで本を読んでいた。目に悪いことは百も承知だが、同じマンションの住人に嫌がらせをされていることに恐怖を感じ、できるだけ家にいることを悟られないよう生活するようになっていた。

夜10時少し前、共用玄関のインターフォンが鳴った。

わたしは、来客や宅配の予定がない場合インターフォンに応答しない。そのマンションのインターフォンにテレビ機能はついていなかったので、電話に出ないことには相手が何者かは確認できない。そもそも女の一人暮らしにとって、アポなしの来客などろくな要件でがあるはずはない。しかもこんな夜間。

インターフォンは数度鳴らされた。思わず息をひそめた。音は止んだ。

ぴったり1時間後の夜11時前、再びインターフォンが鳴った。怖くなって、わたしは布団を頭からかぶった。今回も数度続けて鳴らされて、音は止んだ。

さらに1時間後の日付が変わるころ、三度インターフォンが鳴らされた。やはり数度。うとうとしていたわたしはその音に目を覚まし、さすがに心底怯えた。玄関に鍵はかけていたか、チェーンはかかっているか、確認しに飛び出したい気持ちはあるが、気配を悟られてはならない。布団の中で息を殺していると、音は止んだ。

インターフォンが止んで数分経っただろうか、「ガシャーン」と、何か硬いものが床にぶちまけられるような大きな音が廊下から響いてきた。わたしは内心「ああ、やられた」と思った。何をやられたかはわからないが、とにかくそれはわたしに対する何らかの暴力だと思ったのだ。しかし、夜は遅い。共用廊下にまでやってこれるのだから当然そいつはオートロックの内側にいる。玄関ドアを開けて状況を確認する勇気はなかった。

わたしはひたすら真っ暗な中布団の中で息をひそめ、やがて眠った。

玄関ドア前の異様な状況

翌朝、本来なら起床直後に廊下を確かめに行くべきなのだろうが、どうしてもできなかった。昨晩のことは怖い夢で、あの大きな音もただの勘違いだと思いたかったのかもしれない。わたしは普段通りに身支度をして、いつも家を出る時間に玄関ドアを開けた。そして、愕然とした。

玄関ドアの前には、生ごみと思しきものが散らばっていた。いや、生ごみならまだマシだったかもしれない。よく見ると廊下にばらまかれたそれは「冷蔵庫の中身」だった。さすがに写真は掲載できないので、ばらまかれていた物の一覧を記しておこう。

  • 発泡スチロールのトレーに入ったままの肉(裏返っていたので、血の混じった汁が流れ出て床を汚していた)
  • 使いかけの瓶入り焼肉のたれ
  • 使いかけのプラスティックボトル入り焼肉のたれ
  • 使いかけのプラスティックボトル入り「穀物酢」
  • 手付かずの巨峰2袋
  • 半分ほど使って残りをサランラップに包んである玉ねぎ
  • 半分ほど使って残りをサランラップに包んである人参
  • レシート(前日夕方の打刻、「合挽き肉」「オクラの胡麻和え」「ポカリスエット」の記載)
  • 一連のものを入れてきたと思われる近所のスーパーのビニール袋

おそらくインターフォンをきっちり1時間おきに鳴らした人物は、反応がないことに怒り狂い、自室の冷蔵庫の中身を手近にあったビニール袋に詰め込んでわたしの部屋の前までやってきて、ぶちまけたのだ(レシートはビニール袋に入っていたのだろう)。生活感溢れる物の数々は、明らかなゴミをぶちまけられるよりも狂気の度合いが強いように思えて、わたしは心底ゾッとした。今どこかで犯人がわたしを見ているのではないかと不安に襲われ、周囲を見た。幸い誰もいない。

その日のわたしは朝一番に外せない仕事が入っていたので、とりあえず状況を写真に収めた上でぶちまけられた物をビニール袋に詰め、キッチンペーパーで廊下に流れ出た生肉の汁を拭き取り、それも一緒にビニールに入れた。誰もいないことを確認しながら下の階に降り、共用玄関で念のため郵便受けを覗く。真っ黒に変色したバナナの皮が入っていた。

わたしはバナナの皮もまとめて袋に入れて、マンションの共用ゴミ置場に置いてからとりあえず会社に向かった。どうしよう、どうしたらいいんだろう。郵便受けにチラシを詰め込まれるのとはワケが違う。さすがにこれは暴力だ。

初めて本格的に身の危険を感じたのは、この時だった。

 

(次のエントリーに続きます)