メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

暴力のスイッチ、そして「逃げるが勝ち」ということ(7)

(前のエントリーの続きです)

物件探しと避難生活のはじまり

やはり土曜日は安全。小雨の降る静かな朝ののどかさもそこそこに不動産屋へ向かう。ネット上の情報にはありがちなことだが、当たりをつけていた物件の中には既に決まってしまっているものが多く、内見できそうなものは2件。他にもお客さんがいたため車の順番待ちに時間がかかったものの、見に行った物件の中に運良く気に入る部屋があった。今の部屋より狭いし、窓の向きも理想的とはいえないが、立地や設備・管理状況は格段に良く内装も好みだった。それ以上に、決め手は「何となくしっくりくる」ことだった。これまでの引っ越しでも、買い物をするときでも同じ。条件でも理屈でもなく「これはわたしだ」「ここはわたしの暮らす場所だ」という感覚がある。そして、その感覚は信じていい。風変わりな間取りは一見使いづらそうでもあるけれど、そこで生活する自分のイメージがありありと浮かぶ部屋。幸いわたしは今回もそういう部屋に出会えた。

問題はいつから入居できるかで、連帯保証人のもの含めすべての必要書類を揃えて初期費用を振り込んで……と、通常の引っ越しだったら気にしないような細かな手続きが、焦っている状況ではやたら煩雑に思える。引っ越しの見積もりも、引っ越し日が決まらないことには頼めない。安心半分、焦燥半分といったところだろうか。

この日はわたしの避難生活の始まりでもあった。不動産屋を出ていったん自宅に寄ってから、とりあえず3日間の予約を取ってあるホテルに移動した。ホテルとウィークリーマンションの中間的な、まだ開業して間もない滞在型ホテルは値段も比較的手頃で(それでも通算の宿泊費は馬鹿にならなかったが)職場にも比較的近い。緊張感を強いられる自宅を離れ、とりあえず引っ越し先も決まったと言うことでその日はコンビニワインでささやかな祝杯をあげ、ぐっすり眠った。

一安心、からの110番

「土日祝日の朝は掃除機の音がしないから安全」の法則に基づき、次に自宅に戻ったのは金曜の夜だった。

土日を何事もなく過ごし、その間に不動産屋で新居の本契約も済ませた。鍵は遅くとも翌土曜の朝には渡せそうだと言われ、ようやく引っ越しの目処も立った。不動産会社経由で数件の引っ越し業者に見積もり依頼を出したところ、月曜に見積もりに来てもらうことになった。職場を外すことが多く心苦しかったため、見積もり立ち会いについては母に対応してもらうことにした。

日曜の夜、再びホテルに移った。週末を自宅で平穏に過ごしたので、再び気は緩み始めていた。引っ越しが決まった安心もあり、内心「出費もかさむし、もうホテルはいいのかな」と思っていた。とりあえず日月火の3泊予約していたので、水曜以降は再び自宅に戻って、週末の引っ越しに備えれば良いだろうと母と話をした。

ところが、である。

月曜の朝、わたしは仕事に向かい、母は引っ越し業者の見積もりに立ち会うためにマンションへ向かった。職場に着いてパソコンを立ち上げてすぐ、携帯電話が鳴った。母だった。電話を取ると、母は動揺した様子で言った。

「大変、窓を割られてる」

部屋に着いた母は、とりあえず空気を入れ換えようと窓に歩み寄った。すると裸足の足の裏に痛みが走り、そこではじめてカーテンの向こうの窓が割れていることに気づいたのだという。窓にはワイヤーが入っているので割れたガラスはほとんど飛び散らず窓枠内に残ったままだった。おかげで被害は少なかった一方で、窓が割れていることに気づかなかった母はガラスを踏んで足裏を怪我した。

予想外の展開にわたしも動揺したが、それどころではない。

「とりあえず触らないで、まず110番して警察を呼んで。警察が来るまでは誰か来てもドアを開けないで。わたしも帰るから」

電話を切ると、周囲に事情を話して有休を取り、立ち上げたばかりのパソコンの電源を落とした。自宅へ向かいながら姉に連絡し、(水曜以降自宅に戻るのもとても無理なので)引っ越し日まで滞在できるホテルを抑えてくれるよう頼んだ。

家の前にパトカーが止まっていた。数年前に近所で放火事件があり、その後しばらく同じ場所にパトカーが止まっていたことを思い出した。自宅に戻ると1Kの広くないスペースに母と2人の警官、家主、某引っ越し会社の営業社員。部屋は引っ越してきて以来記憶にないほどの過密状態だった。

ワイヤー入りの窓には蜘蛛の巣状のひびが入って、ところどころ砕けたガラスがフローリングに飛び散っている。直撃した跡は2箇所。向かいのブロック塀に少し緩んでいるところがあり、そこから外したブロックを外から窓に向かって投げたのだろう。しかも、少なくとも2度。エントランスの周囲には、割れたブロックのかけらが落ちていた。どうやら重いブロックは1度目は2階の窓まで届かず、さらに砕けた破片を投げることで窓を破損するに至ったようである。ガラスにワイヤーが入っていたから良かった。誰もいなかったから良かった。もしホテルに避難していなかったら、割られた窓のすぐそばでわたしと母は寝ていたはずだ。怪我をしていてもおかしくない。家にいたらと思うとぞっとした。

前日の夕方に自宅に寄っているので、それ以降。過去のパターンから想像するに、その朝も上階の住人が掃除機をかけ、その音に怒り狂った下階の住人がブロックを投げたのだろう。これまでの「部屋の前への食品ばらまき」「玄関ドアへの強烈な蹴り」も十分常軌を逸しているが、「ブロックを投げて窓を割る」というのはまた一つ段階が違う。相手はさらに大きな何かを踏み越えてきたような、そんな気がした。そして、ほんの数日の間に急激に凶暴化している犯人の行動を振り返り、ぐだぐだ悩まず引っ越しを決めておいて良かったと心底思った。

もちろん十分器物破損なわけだが、被害届自体は受理するものの、やはり警察はこの程度で捜査を行う様子はなかった。明確に犯人がわかっていれば(というか、本気でやる気なら、ばらまかれたものやブロックから指紋くらい取れるわけだが)対応も変わったのかもしれないし、わたしが既にホテルに避難していて、しかも引っ越しを決めているというのも理由だったのかもしれない。結局この日被害届を出して以降、一度も警察から連絡はないままだ。

家主にはその場で引っ越す旨を告げた。引っ越し業者の営業は窓に空いた穴に驚き、「段ボールを車に積んでいるので、それを渡すから今すぐ荷造りして、もう引っ越し日まで戻ってこない方が良いですよ」と助言してくれた。今どきはストーカーやDV被害者といったデリケートな状況での引っ越しを依頼されることも多いようで、「どうしても不安なら引っ越しの日に警察に立ち会ってもらったこともあるから頼んでみては」等々、実に親身になってくれた。一連の出来事には心底うんざりしたが、この引っ越し業者の営業氏、事情を鑑みて入居手続きを猛スピードで進めてくれた不動産屋の方々、心配の声をかけてくれた友人知人同僚などなど、人の情を感じる場面も多々あった。お世話になった方々には心底感謝している。

そして、わたしは逃げた

そのまま夕方までかけて荷物をすべて梱包し、再び部屋を出た。窓の割れた箇所には一応余った段ボールを立てかけておいた。これで大丈夫だと思う反面、ここまでエスカレートしてしまった以上、次は「室内に侵入して荷物をめちゃくちゃにする」「放火する」等の行為だってあり得るのではないかと引っ越し日までの間、気が気ではなかった。幸い相手の異常行為はそれ以上ひどくはならず(もしかしたら天井を叩いたり、ドアを蹴ったり、インターフォンを連打したりといった嫌がらせは続いていたのかもしれないが、部屋にいない以上どうだったのかは知りようがない)。

それから5泊のホテル生活はとてつもなく長く感じた。普段は外食や中食が続いても気にならないのに、家に帰れないと思うと意識してしまうのか、毎日コンビニ、デパ地下、外食の繰り返しに心底うんざりした。それでもなんとか平日を乗り切り、その週末、わたしは引っ越した。

わたし個人への恨みや執着ではないので、引っ越し当日に何かされるとか追いかけられるとか、そういったことはないだろうと思い警察の立ち会いは頼まなかった。屈強な男性3人であっという間に荷物の搬出は終わり。入居したときそのままの姿になった部屋を慌ただしく後にした。まさかこんなかたちで離れるとは思わなかった部屋。

あっけない別れだった。

 

(次のエントリーに続きます)