メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

物語の扉

子供の頃のわたしは、物語につながる扉を持っていた。

薄っぺらな板の扉には針金製の金具を引っかける仕掛けの簡素な鍵しかついていないので、開け閉めは子供にもたやすかった。ぎしぎしときしむ板戸を押し開けると、ほこりと乾物のにおいが鼻をつく。小さな窓枠にはめこまれた磨りガラスから淡い光が漏れ差しこんで、光線の通り道に沿ってほこりの粒子がきらきらと揺れ動くのをきれいで不思議だと思った。

ぶら下がる紐を引くと裸電球がぼんやりと灯り、ようやく部屋の中が見渡せるようになる。精米機、米袋、かたちが不揃いで出荷できなかったので自家消費用に回した干し椎茸も大きなビニール袋に詰めこまれ無造作に置いてあった。

部屋の隅にある階段を上ると、いよいよそこはお話の世界だった。

古い人形や、滅多に取り出すことのない着物。七五三の頭飾り。そして、雑多なものに囲まれて鎮座しているのが、子供の背丈にも満たない、小ぶりでちゃちな作りの本棚である。それは50冊組の児童向け文学全集を収納するよう作られたもので、セット購入時の特典だった。

「物語への扉」は、母方の祖父母が暮らす家の寝室にあった。

隣接するトタン作りの納戸に母屋から出入りできるよう後からしつらえた扉。小さいけれど独立した建物である納戸は、大人にとってはただの物置にすぎなくとも、子供にしてみれば憧れの秘密基地だった。それだけでも心躍ってしかたないのに、二階には読んでも読んでも尽きることない世界中の物語。

薄暗い納戸で本を読んでいるのを見つかると叱られ、明るい場所に出てくるよう促されたけれど、そこには抗えない魅力があった。

リンドグレーンに『ロッタちゃんの引っ越し』という児童書がある。母親とけんかした幼いロッタちゃんが、隣人の屋根裏を間借りし一人暮らしをはじめる。ままごと道具でお茶を飲みいっぱしの大人気分、おやつを持って納戸に入り浸るわたしも同じような気持ちでいたに違いない。

わたしの祖父母が住むのは山深く、おそろしく何もない田舎町だった。

一番近くの商店まで子供の足では一時間近く。土臭さ漂う店内(土間だった)には日焼けしたパッケージの古くさい菓子ばかりが並んでいた。山に囲まれ電波の入りが悪いのでテレビはノイズだらけで、そこに預けられる長期休暇のあいだは、野山を駆け回るか、農業を営む祖母の手伝いをする――もしくは本を読むしかなかった。

祖父は地元の小中学校教師で、職を退いてからも田舎特有の慣習で町中の人から「先生」と呼ばれ続けた。インテリぶった見栄もあったのかもしれないが本が好きで、戦後の貧しい時代から祖母に黙って本を買っては職員室に隠していたのだという。もっともある程度たまってくると、見かねた他の教師が同じ学校の生徒である子供達に「父ちゃんの本、持って帰れ」と言いつけるので、隠し事も長くは続かなかったようだ。

そんな祖父なので、我が子にも良質な本を与えたいと考えたのは当然のこと。昭和30年代といえばちょうど文学全集ブームまっさかり、子供向けの世界文学全集50冊組を購入したものの、子育てとは思いどおりにならないもので祖父の子はいずれも本を嫌った。ほとんどページがめくられることもないまま、決して安い買い物ではなかった全集は書棚ごと捨て置かれ、いつの間にか納戸の二階に押し込められてしまった。

しかし、やはり子育てとは不思議なもので、祖父の末娘は、彼女同様読書の習慣を持たない男(面白いことに彼の母は死ぬまで新聞と推理小説を手放さない活字好きだった)と結婚し、そのあいだに生まれた子供はふたりとも読書好きに育ったのである。

長い休暇。祖母の手伝いに飽きると、幼いわたしは活字に向かった。

祖父の蔵書は大人向けのものばかりだったので、目をつけたのが納戸の文学全集。「古代中世編」からはじまるそれは時代・地域ごとに分冊され、子供用に書き下された物語が色とりどり詰めこまれていた。最初に手に取ったのは「グリム童話集」で、長いこと一番のお気に入りだった。同じ童話でも「イソップ物語」の説教臭さよりは、お姫様と魔女、どこか陰惨な人間模様をはらむグリムに引きつけられたのだ。子供向けのくせに、あの本では、シンデレラの姉たちは容赦なく鳥たちから目をつつきだされ、足指やかかとを切り落とされていたっけ。もう少し大きくなると「小公女」や「レ・ミゼラブル」に手を伸ばした。ロフティングやケストナーも大好きだった。

この全集を、わたしは繰り返し読み返した。その間、祖父の蔵書からませた本を取り出してもみたし、自宅や図書館で他の子供らしい本と出会いもした。

わたしが本を読んだり文章を書いたりしているのを見ると、祖父はいつも嬉しそうな顔をした。さらに成長し、SFやミステリーに傾倒した思春期を経て気づくと元の場所に戻り、再びいろいろな国の物語に関心を持つようになっていた。その頃にはわたしが祖父母の家を訪れる機会はめっきり減り、祖父が本に向かうことも少なくなっていた。

3年前に祖父が他界した。

肺がんの手術以降体が弱くなり、足腰が立たなくなると同時に痴呆の症状を見せるようになった。祖父は本来は物語を好む人間ではなかったようで、リタイヤ後に手に取るのは実用書や教育書が主だった。次第にそれすら読まなくなり、残ったのは漢詩と詩吟。しかし最期の一ヶ月、混濁する意識の中で祖父は夢とも記憶ともつかない不思議な話を訥々と語り、それを聞く姉は、離れて暮らすわたしに「おじいちゃんの面白い物語」を知らせてくれた。

「おじいちゃんみたいに優しい人はいなかった。一度だって怒ったことなんてなかった」

祖父の葬儀の日、祖母がふっと口を開いた。祖父が祖母を叱っているところ、けんかしているところをしょっちゅう見ていたわたしは笑った。

「嘘ばかり。おじいちゃん、声を荒げていたじゃない」

すると、祖母は真顔で言い返す。

「あれは、わたしが悪いことをしたから。あの人は決して理由なく怒ったりはしなかった」

さらに思い出語りは続いた。

「一度だけ、おじいちゃんが手をあげたことがあったっけ。そのときおばあちゃんは、叩きたければ叩けばいい、って言ったの。そうしたらおじいちゃん、はっとして、ばつの悪い顔をして、振り上げた手のやり場に困ったんだろうね。この手は叩くための手じゃないって言ったの。この手は撫でるための手だって、おばあちゃんの頭を撫でたのよ」

嘘だあ、おじいちゃん、そんなキャラじゃないよ。姉とわたしはまた笑った。おばあちゃんったらこんなこと言ってたんだよ、伝えると母も笑う。嫌ねえ、都合良くお話作っちゃってるんだわ。

祖母は16歳で嫁いだ。末娘で、結婚が何かもわからず不安と心細さで泣いているのをなだめるのに、兄達は「ほら、口紅は甘いぞ」と冗談まじりに慰めたのだという。

「おばあちゃんが女学校から帰るのを、ずうっと離れておじいちゃんが後ろからついてくるの。お友達が、あれあなたの婚約者でしょうってからかうのが恥ずかしくて。結婚なんて嫌でしかたなかったのに、相手から断られても癪だわと思っていたのは、女心ってやつなのかしらね」

誰も住まなくなった家に、今は病院で暮らす祖母をときおり連れて帰る。もともとおしゃべりだった祖母は、問わず語りで懐かしい話――もしくは新しく頭の中で紡ぎ上げた物語を話し続け、わたしはそれを聞く。

先日、ふと姉が言った。

「復刊支援のサイトに登録しちゃった。おじいちゃんの家の文学全集、ぼろぼろになって巻が抜けちゃってるじゃない。あれ、また綺麗な状態で欲しいなって」

借りっぱなしで返さなかったり、手荒く扱ったり、わたしと姉のせいであの全集は痛み、かなりの数が欠けてしまった。

そういえばもう長いこと読み返していないなぁ。色とりどりの物語を思い出そうとすると、同時に祖父母の家で過ごした幼い頃の記憶がよみがえってきた。大人になるにつれ、扉のこちら側にも抱えきれない物語が広がっていること、広がっていたことを知ってしまった。一方で今も、束の間の田舎暮らしや祖父母との生活の何もかもがわたしのなかに物語として蓄積されている。

久しぶりにあの扉を開けてみようか、と思う。

魔法は今も有効なのだろうか。

それともあの空間をいっぱいに満たしているのは、ただのノスタルジーなんだろうか。

 

※8年ほど前に書いたエッセイ。その後祖母は亡くなり、「物語の扉」を持つ家を管理することは難しくなり、売却した。